働いても困窮から抜け出せない。社会のひずみは子どもに向かう。
第2章で取り上げた、3人のわが子を育てるひとり親のひろみさん(40)。夜、仕事で家にいられず、長男の祐汰君(15)が弟と妹の親代わりをしていた。
「うちは貧乏。でも、懸命に生きているんです」
ひろみさんは、その姿を知ってもらうことで「社会を少しでも変えたい」と記者に言った。
「親の都合で子どもたちは不安な時間を過ごす。それでも、子どもに明るい未来があることを信じたくて」
託された、と感じた。
記事によって好奇の目にさらされないか。子どもたちがいじめられないか。より具体的な現実を伝える意味とリスク。祐汰君も交えて何度も話し合い、「祐汰君」「ひろみさん」と実名で報道した。
6人に1人の子が貧困の中にいる。
現状を伝えるだけでは足りない。わずかでも、子どもが希望を持てる方向に社会を変えられないか。
◇ ◇ ◇
取材で目にしてきたのは、「寄り添う」ということ。
6月、子どもを衣食住まで支援できる日光市内の居場所「ひだまり」。小学5年生の奈津美ちゃん(10)=仮名=が得意な、おはじきのゲームで一緒に遊んだ。記者に負けて、「もう1回」と悔しがる。
会うのは2カ月ぶり。ちょっぴり背が大きくなったように見える。
生活保護を受ける母子家庭で暮らす。母親は家事、育児がままならなかった。
奈津美ちゃんは小学校に上がってもオムツが取れず、登校班にも入れないでいた。
ひだまりを運営するNPO法人の畠山由美さん(53)は、うまく用を足せなくても叱らない。お尻をきれいにして、学校に送り出した。
今は、友だちもいる。学校にはみんなで通っている。
育つ傍らには、いつも畠山さんがいた。
困窮し、家にこもっていた県北の大貴君(18)たち3兄弟のそばには、村上京子さん=ともに仮名=がいる。地元自治体の相談員。
兄弟を初めて取材した2013年冬。何を聞いても、ほとんど返事はない。時折、目を合わせるのがやっと。
支払いの滞納、不登校…。できない理由ばかり問い詰められてきた母親(38)。父親はいない。SOSすら出せなくなっていた。
村上さんは、避けられても、繰り返し支援制度の手続きや就労を後押しした。
課題を乗り越えるたび、母親の気持ちはほぐれた。兄弟も次第に学習支援の場やバイトへ外出するようになった。
記者が出会って半年。大貴君には「高卒資格を取る」という目標ができた。弟(16)は顔を上げ、和らいだ表情で、前よりも言葉を交わせるようになっていた。
村上さんは言う。「責めるのでなく、何ができるか一緒に考え動くことが大事よね」
◇ ◇ ◇
「親が甘えているだけ」
連載中、支援される親たちへの批判も寄せられた。メールを読み進めると、送り主も、働いても生活が苦しいひとり親。やり場のない苦悩を抱え孤立していた。同じような声は少なくなかった。
そんな社会で寄り添われずに生きている子どもがいる。 貧困の中にいる子に寄り添い続けることは難しい。
でも、寄り添う心を持つことは、きっとできる。
今よりも子どものことを考える社会になるということ。
「希望って何ですか」
子どもから問われたら、それこそが「希望」なのだと答えたい。
いつか問い掛け自体のない日が来る、と信じたい。

(「希望って何ですか」は終わります)