「貧困の連鎖を断ち切れ!」「子どもの未来は日本の未来だ!」
2013年12月15日、東京・渋谷のビル街。若者約400人のシュプレヒコールがこだました。

小山市の白鴎大1年小河原沙織さん(19)も声を張り上げた。
「給付型奨学金制度を作ろう!」
親を亡くした学生らによる「あしなが育英会」のデモ行進。成立半年の「子どもの貧困対策推進法」の早期施行を求めた。
法は、子どもの将来が生育環境に左右されないよう、教育の機会均等などを目指す。
沙織さんは、返済の必要がない「給付型」の奨学金実現に関心を寄せていた。
◇ ◇ ◇
自らの学生生活。
学費、生活費…。いつも頭のどこかで、お金のことを考えてしまう。
福島県西郷村の実家を離れて、一人暮らし。育英会から借りる月4万円の奨学金は、4年間で総額約200万円近くになる。「給付型」ではない。卒業後、20年間かけて返さなければならない。
大学新卒でもスムーズに就職できるとは言い切れない時代。なのに、社会に羽ばたく時、既に「借金」というハンディを背負う。
そう分かっていても、奨学金がなくては大学進学はままならなかった。
実家の家計は、時給800円にも満たないホテル清掃のパートで働く母順子(じゅんこ)さん(57)が支える。年間90万円を超える大学の授業料は、限られた蓄えから出してくれる。
「お母さんばかりに頼るわけにはいかない」
奨学金は沙織さんのアパートの家賃に消えていく。
食費や光熱費は月3~4万円。週3日、夕方から5時間ほどの店員のバイトで賄う。
「もっと稼げれば…」と思う。でも、しっかり勉強して母の期待に応えたい。これ以上バイトしたら、疲れて授業に出られなくなる。
奨学金を借りている学生は多いが「返すのは親だし」と言う友だちもいる。「自分とは違う」と感じる。
◇ ◇ ◇
デモ行進から5日後。
国は、4月に低所得世帯の高校生向けの「奨学給付金制度」を設けることを決めた。
「よかったあ」。そのニュースを聞いた沙織さんはわがことのように喜んだ。
「私も高校の授業料無償化に助けられたから」
無償化は10年4月、ちょうど福島県立白河旭高に入学した時に始まった。
当時、そのありがたみを知らなかった。
あの日、父が亡くなるまでは。