
現実として受け止められなかった。
小山市の白鴎大1年小河原沙織さん(19)が、故郷の福島県立白河旭高に入学した2010年の夏。
学校まで車で迎えに来てくれた母順子さん(57)がハンドルを握り、ぽつりと言った。
「お父さん、がんだって」
後部座席の沙織さんは、すぐに意味をのみ込めない。「手術したら治る」。そう信じたかった。
入院した父栄吉さんの病は少しずつ、確実に進行する。
元気なころ、宿題をする沙織さんにちょっかいを出した、ちゃめっ気たっぷりの父。やせていく姿を見るに堪えず、見舞いの足は遠のいた。
翌11年3月5日。栄吉さんは55歳で旅立った。
◇ ◇ ◇
沙織さんは3人姉妹の末っ子。5人家族は、娘たちが大きくなるまで仲良く並んで床に就いた。
工場勤めの栄吉さんは土日の出勤もいとわず、よく働いた。それでも、年に1回は娘たちを山や海、東京ディズニーランドへと連れて行ってくれた。
「普通」と思っていた暮らしは、崩れ去った。
残された母娘4人の生活は、母のパート収入と遺族基礎年金で賄う必要がある。父の退職金などの限られた蓄えを、日々消費するわけにはいかない。
「もう一つ仕事をしようかな…」と漏らした母。しかし「体が持たない」とあきらめた。
1番上の姉は東京都内の私立大に通い、一人暮らし。バイトで生活費を稼ぐ。
2番目の姉と沙織さんは高校生。授業料は国が無償化していた。「ありがたいね」。ほっとした母の姿を目にして、沙織さんも胸をなで下ろした。
上の姉は大学を卒業して都内で働き始め、下の姉は高卒で地元に就職した。2人とも、実家を支えるゆとりまでは持てない。
◇ ◇ ◇
高校3年になった沙織さん。
進学?
それとも就職し家計を支えようか?
悩んだ末、「より安定した仕事に就くために大学へ行く」と決めた。母も賛成してくれた。
大学選び。
「こんなに学費、生活費がかかるなんて…」。初めて「お金」の問題を意識した。
父がいたころ、「何かあったら親に頼ればいい」と考えていた。でも、もう父はいない。
自らに及んだ貧困の影を感じていた。