
2013年11月末、宇都宮市内の住宅で引っ越しが行われた。花の茎が伝うアーチがある平屋。
入れ代わり立ち代わりバックで止まるワンボックスカー。家から、段ボールが次々運び出された。
「これで大きい物はだいたい終わりだよねー」
市内の児童養護施設で育ったNPO法人職員、塩尻真由美さん(32)は家の中をのぞき込み、声をかけた。
施設の元職員、石川浩子さん(53)宅。
がらんとした玄関わきの和室。真由美さんが6年前まで暮らし、生き直した場所だ。
「命拾いしたと、心底思ったんです」
◇ ◇ ◇
高校を卒業して施設を巣立ち、寮のある県外の会社にバスガイドとして就職し1年がたったころ。ひとりぼっちで社会に放り出され、疲れ果てた真由美さん。仕事をやめたら、寮を出ざるを得ない。
行き場がなく自暴自棄になりかけていた。
そんな時のこと。
「ここに帰っておいで」。手を差しのべてくれたのが、石川さんだった。SOSが出された時は、もう頑張れない時。真由美さんをずっと案じていた。
石川さんの自宅アパートで生活し始めた。
初めは落ち着かなかったが、2人の穏やかな時間に真由美さんは癒やされた。
「いつの間にか居心地がよくなって」。そろって出掛ければ親子に見られた。
やっとたどり着いた「居場所」。帰る場所がある安心感。少しずつ自分を取り戻す。
飲食店員、事務職、派遣社員としても勤めた。再び働く意欲もわいてきた。
石川さんと暮らして3、4年。石川さんが一戸建てに引っ越すことになった。花のアーチの家だ。
化粧品販売会社で正社員の職に就いたころ。経済的にも安定し始め、何となく家を出なくてはいけない気がしていた。でも、まだ一緒にいたい。
バスガイド時代の孤独が頭をよぎった。
石川さんが言った。
「あんたも行くよ」。
うなずくだけで精いっぱいだった。
◇ ◇ ◇
石川さんと7年間過ごし自然と言えるようになる。
「私、家を出ます」。もう孤独への不安は感じなかった。
真由美さんは後から思い気づいた。「石川さんはずっと、私が言い出すのを待っててくれた気がする」
26歳。ようやく自立できた。
でも、まだ一つ、大きな気掛かりが残っていた。