玄関を埋め尽くした靴の多さが、にぎやかさを物語る。
2013年12月25日、クリスマスの夜。宇都宮市内のアパートの一室は笑い声で満たされた。十数人が集まったパーティー。

さまざまな事情で家庭で暮らせずに育った人同士が支え合うサロン「だいじ家」。NPO法人職員で、市内の児童養護施設で過ごした塩尻真由美さん(32)が代表を務めている。
だいじ家は「一息つく居場所」。同じ境遇で育った若者が集まり、食卓を囲み、話すともなく話す。自分のことを飾る必要はない。説明すらいらない。
◇ ◇ ◇
当事者の一人でもある真由美さん。
「普通」との違いを感じ始めた幼いころから、多くのことをあきらめ、繕いながら、懸命に生きてきた。
そう生きてきたからこそ、支援者として「自分にしかできないこと」に取り組んでいる。
「自分を認めてもらえない時間が長すぎると、心が岩盤みたいに固くなっちゃう」
おりのようにたまった苦悩が分かる。だいじ家では、「岩盤になる前に、きょうの疲れを取る」ことに心を砕く。
結婚した今、素のままの自分を語れるようになって、ほっとしている。
それでも、自信を持ちきれない。「私、『普通』にできてる?」。頑張らなくていいと分かっていても、頑張りすぎてしまう。
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真由美さんに尋ねた。
貧困って何だと思いますか。
「連鎖するもの。育ちの違いってものすごくあるでしょう」
この国は「親が稼いだお金で、子を育てるシステム」。でも自分は「税金」で育った。
そんな境遇の子どもは、必ずしも自らが望むように成長したとは思えない。「だからこそ」と訴える。
「税金を払っている以上、目を向けてほしい。その子たちが望んでもいないのに、ヤクザになったり、風俗で働く姿をおかしいと思ってほしいんです」
施設や里親家庭で育つ社会的養護の子どもに限った話ではない。
「相対的貧困」の中に身を置き、いろいろなことをあきらめている子どもたちがいる。かつて自分がそうだったように。
みんなが1人1円出したら、何人の子が大学に通えるんだろう。そんなことを考える。
「結果、その子がなりたい大人になれたらすごくいいなあって」