
4年前までは、日光市内の小学校の校長先生。
いまは、市の家庭児童相談室の相談員だ。養育支援などを行う市内のNPO法人「だいじょうぶ」のスタッフでもある。
2012年4月、「子どもにかかわり続けたい」とスタッフになった大久保みどりさん(64)。そこで目にしたのは、教員だった自分にできなかったことの数々だ。
「支援がこんなにたくさんあるなんて」
だいじょうぶは、家事、育児支援のほか、民家を使って衣食住がままならない子と子育てに悩む親の居場所「Your placeひだまり」を運営している。
放課後、ひだまりにやって来る子どもの家庭は大半が経済的に困窮している。
お風呂に入り、衣服を洗濯してもらう。宿題を済ませ、おなかいっぱい食べると、満足して家路につく。
「いまなら、真っ先に相談するのに」
◇ ◇ ◇
校長時代。市の相談室やだいじょうぶの印象は、あまりない。
スタッフが学校を訪れた時も、「対象となる児童はいませんよ」と笑って応じて、帰ってもらった。
「支援できる」と言われても、「実際に子どもたちが助けられた」と耳にしたことがない。
児童の情報を提供したところで、事態を変えられるのか。かえって、かき回され、学校と保護者との間にあつれきを生まないか。
事情を抱えた子どもに対応しきれないこともある。それを「学校の弱い部分」と受け止めてしまい、外の人に話すのは「恥」だとも思っていた。
気になる子がいないわけではない。「でも、情報は安易に流せない」
◇ ◇ ◇
苦い記憶がある。
日本人の父親とフィリピン人の母親を持つ高学年の男の子。母親は家を出て行き、汚れた衣服が臭う。ご飯も満足に食べられていないようだ。
「学校は、朝ご飯までは用意できないから」
市の相談室でなく、民生委員に相談した。すると、民生委員は個人として、おにぎりを届けてくれるようになる。学校でも、養護教諭が衣服を洗ったりした。
日々の仕事に追われる学校は、生活支援をいつもできるわけではない。おにぎりも、いつしか途切れた。
市教委に臨床心理士などの配置は進んでいたが、衣食住などの直接支援の手だては知らない。
「学校が何とかしないと…」。気持ちばかりが空回りした。
男の子の状況は変わらず、時間だけが過ぎる。
結局、何もしてあげられないまま卒業させてしまった。後悔だけが残った。