上三川町五分一(ごぶいち)の農業上野長一(うえのちょういち)さん(71)は、1945年8月9日に長崎で被爆した稲の子孫「原爆稲」の栽培を20年近く続けている。原爆稲には今も強い放射線の影響が残り、穂には中身のないもみが多く混じるという。長崎に原爆が投下されてから9日で78年。上野さんは「自分にできることで、平和の尊さを広めたい」と思いを語った。
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