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疎開児童らと共に学んだ楠本さん=5月中旬、那須町高久甲
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本堂に残る鏧子には「高久学寮」などと刻まれている=5月中旬、那須町高久甲
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「地域ぐるみで私たちを支えてくれた」と疎開生活を語る高嶺さん=6月下旬、東京都内
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荘厳寺で撮影された疎開児童らの集合写真。前列左端が高嶺さん(1944年9月末ごろ撮影)
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「おやつは月に2、3回。毎日空腹でいつも食べ物のことばかり考えていた」と疎開生活を振り返る井上さん=6月中旬、小山市駅南町5丁目
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井上さんの著書「学童疎開空腹物語」の挿絵。疎開中に衰弱して布団から立ち上がれなくなった友人もいた