「与一まつり」に改称した1984年の武者行列(大田原市提供)

 源平屋島の戦いで「扇の的」を射落とした那須与一(なすのよいち)とゆかりが深い大田原市は、「与一の里」として知られる。

 全国の市町村がまちおこしに力を入れた昭和末期、旧大田原市の「与一の里づくり」が本格的に進められた。1984年には「大田原ふるさとまつり」が「与一まつり」に名称が変わり、初めて武者行列が行われた。与一を身近に感じ、誰もが親しめる夏の風物詩となった。

 民間の立場で推進してきたのが、85年6月に誕生した「那須与一公顕彰会」。設立当初からの会員八木眞治(やぎしんじ)さん(74)は「地元でも知られていなかった与一を活用し盛り上げたいという思いだった」と語る。同年9月には福原の玄性寺で「第1回与一弓道大会」を開催し、恒例化した。86年には旧市内各種団体で構成する推進連絡協議会が発足し「与一」の名は地域に浸透していった。

 行政は“背骨”となって支えた。86年度の旧市総合計画には「与一の里づくりなど、観光開発を総合的に推進する」と目標を設定。那須家から寄託を受けた家宝を基に、資料を収蔵・展示する「那須与一伝承館」が2007年に開館。市のイメージキャラクター「与一くん」は、ゆるキャラブームと相まって全国的に知られるようになった。

 長年、行政の立場で里づくりを支えてきた斎藤達朗(さいとうたつろう)副市長(60)は「官民一体で取り組んだからこそ、市民の郷土愛が芽生え一体感が醸成された」と話す。

 里づくりは続く。顕彰会の八木英子(やぎひでこ)会長(75)は「全国大会が開催できるような弓道場を整備し、大田原市をもっと盛り上げたい」と語った。