旧黒羽町で開催された「栃の葉国体」相撲競技会(広報くろばね国体特集号より)

 古くから相撲が盛んだった大田原市。旧黒羽町は県誕生以前から相撲と親しんできた長い歴史がある。

 特に両郷地区。「先祖は代々草相撲の力士だった」という同市木佐美の農業井上正男(いのうえまさお)さん(83)の旧家には、1816年に行司木村庄之助(きむらしょうのすけ)が発給した相撲の免許状や明治期の化粧まわしなどの史料が残る。

 大宮温泉神社の境内には相撲場の跡も。大正から昭和初期には、地域の力士が「四股名(しこな)」を名乗り、各地区への巡業が行われていたという。

 1980年栃の葉国体では、旧黒羽町が相撲競技の舞台となった。当時、運営を支えた市相撲連盟の大沼健司(おおぬまけんじ)会長(64)は「自分たちが作った土俵で、全国の猛者たちがぶつかり合うのを間近で見ていた。感慨深かった」と振り返る。

 国体を機に相撲はさらに地域に浸透した。黒羽高に相撲部が誕生し、全国の強豪校へと成長していく。開催を記念して「黒羽町民相撲大会」も創設された。88年の第9回大会には小学生団体戦に9校12チーム、約100人の子どもたちが参加した記録が残る。

 2005年の3市町村の合併後、相撲によるまちづくりは市全体へ広がった。06年に美原公園相撲場が新設され、市内各地で相撲教室の開催や市民大会などが盛んに行われてきた。

 昨年の「いちご一会とちぎ国体」で再び相撲会場となった市だが、少子化やスポーツの多様化などで競技人口は減少している。「いま一度、相撲の伝統を継承していかなければ」と話す大沼会長。脈々と受け継がれてきた国技のDNAを絶やさないことが地域の使命と感じている。