直線的な道が続く軌道跡の「ぽっぽ通り」

1935年ごろ、八溝の山を背景に走る東野鉄道(東野鉄道五十年史より)

直線的な道が続く軌道跡の「ぽっぽ通り」 1935年ごろ、八溝の山を背景に走る東野鉄道(東野鉄道五十年史より)

 古代の東山道駅路、後の奥州街道、那珂川の水路。県北地域で人や物を運ぶ手段は変遷してきた。この150年の間に生まれて姿を消したのは、東野鉄道だ。大田原市内にある軌道跡の歩行者自転車専用道路「ぽっぽ通り」に名残がある。

 同市資料などによると、現JR東北本線の整備に伴い1918年、西那須野-黒羽間(約13キロ)が開業した。荷馬車などに替わり、米麦、トウガラシ、木材などを運んだ。その後、湯津上を通り那須小川まで延伸した。

 人の動きにも影響した。大田原駅近くの山の手2丁目で酒店を営んでいた安田淳子(やすだじゅんこ)さん(87)は60年ごろの記憶をたどる。周辺の勤め人が仕事後の夕、店先でコップ酒を飲んでいた。「列車が近づくと、店を飛び出して行ってね。とっくりを持って行っちゃう人もいたねぇ」と懐かしんだ。

 湯津上東部生まれの市史編さん委員会専門部会長木村康夫(きむらやすお)さん(72)は若い頃、大田原中心部に向かうのに遠回りする方向の黒羽駅に出て列車に乗った。「その方が早かった」。鉄路がもたらした移動方向だ。「今の感覚で宇都宮に行くのが、大田原に行くのと同じだった」と話す。

 時代は車社会に突入。68年、東野鉄道は半世紀の歴史に幕を閉じた。「脱炭素」などモータリゼーションが局面を変えても鉄路の郷愁は消えない。