大正から昭和初期にかけての那須湯本温泉街(那須温泉昔語り館提供)

 1923年、皇太子時代の昭和天皇が那須を訪問。3年後の26年に那須御用邸が設置されたことを契機に、那須湯本温泉街をはじめとした那須地域は、従来の旅館などに加え、別荘やリゾートホテルが立ち並ぶロイヤルリゾート地として大きく成長していった。

 那須温泉昔語り館の阿久津靖彦(あくつやすひこ)館長(54)は「御用邸設置以後、那須湯本温泉街は『新那須』という強力なライバルが出現したことで発展してきた」と話す。

 御用邸の存在に加え、温泉や自然景観が当時の有力者の目に留まり、那須湯本温泉街の南から一軒茶屋交差点までの新那須地区には、富裕層向けの別荘地や庭園などの整備が相次いだ。

 新那須地区に対抗しようと、那須湯本温泉街も、木造5階建て旅館や鉄筋コンクリートの建造物などの建設され、街並みを変化させていく。しかし戦時中の45年に起こった大火により、那須湯本温泉街は一面焼け野原となってしまった。

 戦後、建物を再建し温泉街は復興。さらに60年にビューホテルの第1号ホテル「那須ビューホテル」が誕生するなど、64年の東京五輪に合わせた再開発が活発化していった。

 70~80年代前半には高速道路や新幹線といった交通網の整備もあり、宿泊客は急増。那須湯本温泉街にある阿久津さんの自宅前は、朝から晩まで温泉客が履いたげたの音が絶えなかったという。

 その後のバブル崩壊や足利銀行の経営破綻は、那須地域に打撃を与えた。阿久津さんは「那須の温泉街は大火などの災害を乗り越えた。経済の災害からの復興を目指し、活気ある温泉街を取り戻したい」と願う。