日光市足尾地域の中心部から渡良瀬川の支流、神子内(みこうち)川沿いをさかのぼった神子内地区。「ここの自然があるから育てられる」。同川の水を使った養魚池を眺めながら、神山水産(日光市足尾町)の従業員神山勇人(かみやまゆうと)さん(28)は誇らしげに説明した。

 同社は祖父が50年以上前に始めた釣り堀が原点。今はヤマメやニッコウイワナなどを養殖し、県内外の飲食店やホテル、釣り堀などへ出荷している。

 看板商品は自社開発したブランドニジマス「頂鱒(いただきます)」だ。父の専務裕史(ひろぶみ)さん(56)が15年ほど前から研究し、2016年には商標登録した。名前には「頂点を目指すマス」との思いを込めた。

 通常の倍の年月をかけて成熟させるため、大型化し肉質が良いのが特徴。「餌にもこだわっている。臭みが少ない」と胸を張る。

父の裕史さん(右)と頂鱒をすくう勇人さん。育てた頂鱒で「何かイベントをしたい」と夢を描く=8日午後、日光市足尾町
父の裕史さん(右)と頂鱒をすくう勇人さん。育てた頂鱒で「何かイベントをしたい」と夢を描く=8日午後、日光市足尾町

 評判は口コミなどで広がっている。「魚はやっぱり水質が大事」。足尾の清流が、頂鱒を育む。

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 足尾銅山がまだ稼働していた1960年代、当時の旧足尾町を挙げて足尾ならではの地域ブランドをつくろうという動きが起きた。

 貿易自由化で安価な銅が輸入され、国内鉱業は不振に陥っていた。銅山町の足尾でも鉱業以外の産業を見つける必要があった。

 町が注目したのは、銅山から出る鉱泥。陶芸に使えないか。「足尾焼」として地場産業に育てるため、町の振興計画に基づき研究所が設立された。一時期は少なくとも7軒の窯元が足尾焼を手がけた。

 ところが、陶土として扱いにくい鉱泥は徐々に使われなくなった。銅山閉山から半世紀。窯元は現在、2軒に減った。

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 「父とは頂鱒を生かして足尾で何かできないか、とよく話すんです」

 勇人さんは県外の大学を卒業後、神山水産に就職した。餌やり、池掃除、配送。忙しい中でも、地域を盛り上げたい思いは消えない。手応えを実感できたのは3月、足尾での釣り関連イベントでのこと。頂鱒のあら汁を売ったところ、よそから来た人にも好評だった。

 「このマスで人を呼び込めるかもしれない」

 勇人さん親子は、可能性を信じている。商品を出荷する際などに添える社名入りのカードには、こう記している。

 「頂鱒」を通じて、足尾を知るきっかけに-。