足尾銅山の経営で発展した古河機械金属。足尾事業所は古河グループ発祥の地に今も残る=2月中旬、日光市足尾町中才

 足尾銅山の閉山は、鉱山町の陰りを加速させた。銅山を経営した「古河」と共に発展した足尾。自立の道を模索したが、過疎化に歯止めはかからなかった。閉山から50年。足尾地域は人口1600人を切り、65歳以上が6割近くを占める。現在の姿に至った要因、背景を探った。

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「ふるかわさん」

 山峡の足尾でしばしば耳にする呼び名は、かつて足尾銅山を経営した古河機械金属を指す。

 足尾と古河の関係を聞く中で幾人もが口にした。企業城下町-。敬称に、その名残が色濃くにじんだ。

 鉱山町だった足尾は1973(昭和48)年の閉山以降、さまざまな面で右肩下がりが続いた。特定の企業に寄りかかる企業城下町の宿命だった。

 減少の一途をたどった人口。影響は当時の足尾町財政にも及び、決算歳入に占める町税の割合は30%前後から10%台に落ち込んだ。

 一方、財政負担は増した。鉱山社宅に代わる住宅整備は、古河依存のツケとも言えた。

 町が自立するには、閉山しても古河の協力が不可欠だった。観光開発の目玉になり得る鉱山施設は古河の所有。企業誘致、宅地整備に使える貴重な平たん地の多くは古河が占めた。

 「古河を悪く言うことは、許されない雰囲気があった」。元町職員は、町が再生を模索した当時を振り返る。切っても切れない関係。古河依存からの脱却は、課題であり続けた。

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 白く真新しい外観が、ひときわ目を引く。足尾中心部を抜ける旧道沿い。2階建てのその建物は、古河機械金属の足尾事業所。閉山から半世紀がたつ今も、発祥とされる地に看板を掲げている。

 「閉山を機に、足尾の位置付けは徐々に変わった」と、古河OBは打ち明ける。足尾赴任を経験した「足尾出身」の重役は減っていった。最たる象徴は、古河鉱業からの社名変更だった。

 優先順位を反映するように、「機械」の後に「金属」がくる現在の社名になったのは89年。消費税3%が導入されたこの年、元号は昭和から平成に変わった。

 その17年後の2006年、足尾は日光市の一地域になった。人口減、財政難。先行きの不安を反映してか、今市、日光、藤原、栗山との5市町村合併に異を唱える町民は少なかった。

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 良くも悪くも古河頼みだった足尾と、事業の軸足を移した古河。閉山後の足尾再生を巡り、両者がかみ合ったとは言い難い。人口減少、高齢化に歯止めがかからないまま半世紀がたつ。

 足尾には今も鉱山施設が点在し、古河の関係会社も残る。あちこちで「古河」が目に留まり、今も地域の中核を成すようにも見える。足尾と古河のつながりは続く。両者はどのような前途を歩むのだろうか。2025年、古河機械金属は創業150年を迎える。