多くの銅山労働者を苦しめた肺の病気、けい肺。閉山から50年が経過してもなお、薬を飲み続けねばならない=2022年12月中旬

 けい肺。

 「ヨロケ」とも呼ばれ、坑内で鉱石の粉じんまみれになって働く鉱員の職業病とされる。鉱物の粉を長年吸い続けると、肺が硬くなり呼吸機能が弱まる。じん肺の一つで、一度かかると治ることはない。重症になると、酸素吸入が必要になる。

 足尾銅山で閉山まで働いた元鉱員の浅見幸雄(あさみゆきお)さん(90)がけい肺と診断されたのは1967(昭和42)年、35歳の時だ。着せ替え人形「リカちゃん」が発売され、公害対策基本法が公布された年。坑内で働いて12年目になっていた。

 7年前の60年、けい肺も含めた事業者のじん肺対策を定めた旧じん肺法が施行された。診断は、職場の健診がきっかけだった。

 毎日の仕事が終わると、二重構造の防じんマスクは鉱石の粉で真っ白。ただ、自覚症状はなかった。

 診断を聞き、恐れたのは病気ではない。仕事を離れること。まだ幼いわが子たちの顔が浮かんだ。

 「俺はこれから子どもを育てるのに、やっていけねえ」。病名を告げる医師に食ってかかった。

 幸い、まだ軽症。生活の糧を失うわけにはいかない。ヤマで働き続けることに、迷いはなかった。

 だが、病はゆっくりと進行していた。閉山から30年ほど後、ついに体が悲鳴を上げた。

 せきが止まらず、真っ黄色のたんの塊が出続ける。心臓も弱った。もう若くない。病を受け入れ、薬を飲み始めた。

 朝飲む錠剤は12錠。朝夕2度、気管支を拡張する薬の吸引も欠かせない。県外で暮らす息子と娘が月1回、群馬県内の病院へ連れて行ってくれる。症状は以前より、軽くなった。

 けい肺に苦しみながら亡くなった仲間は少なくない。「俺は薬で、もってるようなもんだ」。自宅の居間で、浅見さんはそうつぶやいて宙を見つめた。

 「これ、珍しいんじゃないか」。ふと思い出して居間の棚から取り出したのは、薬を飲み始めた後で撮影したという自身の肺のエックス線画像。健康であれば透明なはずの肺は、白くもやがかかったように曇っている。

 35歳で診断された時にも見えたという、白いもや。ヤマの仕事に耐えた分厚い手で指し示した画像は、体を張って家族を養った生きざまの証しのように見えた。