雪が降ったら、地元の人でも難儀した。
ドライブで来たアベックの車がスリップして真横を向き、道をふさいでいたこともあった。いつも車に積んでいたワイヤをつなぎ、引っ張り助けた-。
細尾峠。足尾と日光を結ぶ。標高は千メートル以上。
その峠に1978(昭和53)年、日足トンネルが開通した。成田空港が開港し、サザンオールスターズが「勝手にシンドバッド」でメジャーデビューした年。足尾銅山は閉山から5年がたっていた。
町の再生は急務だった。悲願のトンネル開通に当時、多くの人が歓喜した。日光までバスで1時間20分だったのが、わずか30分足らず。細尾峠での救出劇を懐かしげに振り返った、元鉱員の浅見幸雄(あさみゆきお)さん(90)も、喜んだ一人だった。
うんと楽になった。自家用車があればなおさらだ。日光や今市方面に出て、買い物でも何でもできる。品物が豊富なスーパー。安く買えた。「今はユニクロもあるし」。足尾にも電話で頼めば商品を届けてくれるような商店がまだあるが、少ない。
トンネルで便利になった半面、過疎は際立った。
閉山して人は減った。商売が成り立たない。店も減る。近くなった日光、今市の市街地。不便だから、足尾を離れ所帯を持つ。高齢になると、子どもの所に身を寄せる。谷あいのわずかな平地に立て込んでいた家々に、空き家が増えた。
1916(大正5)年には、人口が宇都宮に次ぐ3万8428人に上った足尾。閉山した73年には1万人を割り込み、今は1600人足らずまで減った。
閉山後も足尾に残った浅見さんは77(昭和52)年、マイホームを建てた。今、妻の稲子(いねこ)さん(87)と暮らす。郵便局にはバスで行く。便は少ない。帰りは歩き。年を取り、足は痛む。休み休み、数十分かけて帰る。
かつては、町のあちこちに飲み屋があった。近くには、パチンコ屋もあった。仕事が正午からの遅番の時は、出勤前に打った。小腹を満たすため、にぎり飯を一つ持っていくのが常だった。
「損はしなかったよ」。そう笑った浅見さんは間もなく91歳になる。足尾とともに年を重ね、町の移ろいを身に染みて感じている。なじみだった飲み屋もパチンコ屋も、もうない。「ここまでになるとは、思わなかった」