国民宿舎「かじか荘」に立つ案内板。かつて銅山坑内から温泉を引いていた経緯が記されている=2月中旬、日光市足尾町

 1枚の白黒写真がある。山の斜面に、横書きの看板が見える。

 「株式会社古河ホテル建設予定地」

 足尾地域中心部から庚申(こうしん)川沿いをさかのぼった渓谷。2月上旬、旧足尾町で町議を務めた星力(ほしつとむ)さん(83)が、写真の場所を案内してくれた。

 「あの山の上だ。道から見えてね、『ああ良かった』と。目に焼き付いている人もいるんじゃないか」

 だが、看板は人知れず撤去されたという。ホテルは結局、建設されなかった。

   ◇    ◇

 「当初の開発構想が大きく後退しており、大変遺憾と感じる」

 1987(昭和62)年3月、古河鉱業(現古河機械金属)が当時の社長名で足尾町へ提出した文書にはそう記されている。

 73年の閉山から、すでに14年が経過していた。

 「開発構想」とは、閉山の年に古河が掲げた観光事業を軸とした地域振興策だ。9カ年、3次に及ぶ全町規模の開発計画を発表。ホテル、レジャーやスポーツ施設、坑内見学施設…。当時の下野新聞は、投資額を「最低百億円」と報じた。

 古河が観光に踏み出す-。町も町民も期待を膨らませたが、計画は進まなかった。成果は銅山坑内で見つかった温泉の既存宿泊施設への引き湯などわずか。

 「実現へ向け努力する」。町側の追及に、古河は70年代のオイルショック、銅市況の悪化などの要因を挙げ、釈明を続けた。

   ◇    ◇

 空転は繰り返された。

 93年6月の足尾町議会一般質問で、ある計画の凍結が明らかになった。

 坑内の巨大地下空洞を利用したテーマパークなどの建設計画。事業主は町と古河などが出資し90年に設立した第三セクター「ボナンザ総合開発」。「豊かな鉱脈」を意味するスペイン語を社名に掲げ、会長に古河出身者、社長に斉藤重二(さいとうしげじ)町長が就き、当初事業費は約16億円を見込んだ。

 「株主総会では当分計画再開は難しいという意見が大勢を占めた」

 社長の斉藤町長が答弁に立ち、凍結を認めた。安全対策費用などが想定以上に膨らみ、91年のバブル経済崩壊が追い打ちをかけた。

 94年、町独自に打ち出した観光振興計画「全町地域博物館化(エコミュージアム)構想」も道半ばの2006年、市町村合併を迎える。足尾に残る産業遺産を活用する構想もまた古河の協力が不可欠。だが観光ガイド養成、環境学習センター整備にとどまった。

 ただ構想でまいた種は合併後、世界遺産登録運動で予想外の展開を見せる。