足尾化学工業の本社工場とその周辺。かつては「野路又工業団地」と呼ばれていた=2月中旬、日光市足尾町、ドローンから

 創立20年の節目に作った35ページの社史。巻末に載る従業員14人の顔写真とプロフィルの中に、かつて足尾銅山で働いた元鉱員らの笑顔も見える。

 足尾化学工業。

 日光市足尾地域東部に本社工場を構え、浄化槽の製造、販売を手がける。50年前の1973(昭和48)年、銅山の下請けをしていた創業者が閉山を機に、仲間と立ち上げた-。

 社史を手に、3代目社長の高田清一(たかだせいいち)さん(74)が会社の生い立ちを説明してくれた。自身は90年から会社に携わる。

 「うちも含め3社しかなかった」。地図上で指し示した場所は「工業団地」と呼ばれていた。地元の人たちが野路又や柏木平と呼ぶ神子内川沿いの一角。そこに今、残るのは同社だけ。5人の従業員が働いている。

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 閉山に伴い、当時の足尾町は企業誘致に力を入れた。銅山を経営した古河鉱業(現古河機械金属)の企業城下町だった町にとって当然の成り行きだった。

 平たん地の多くを所有する古河の協力を得て、工業用地を数カ所に造成した。町有地無償貸し付け、固定資産税減免などの優遇措置。足尾と日光を結ぶ日足トンネルが78年に開通したのも追い風になった。町の誘致で足尾に進出した企業は閉山以降、少なくとも8社を数えた。

 だが、大半は足尾を離れた。山あいで狭い土地なのに加え、日足トンネルがあっても交通の便が良いとは言い難い。労働力の確保も課題になった。

 閉山後の人口減は止まらず、都会志向からか若者の流出は続いた。町内企業への就職者を輩出した足尾高だが、人数は年々減り91年には1人に。その足尾高は、町が市町村合併した翌年に閉校した。2007年。米アップルが初代iPhone(アイフォーン)を発表した、そんな年だった。

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 2月初旬、静寂に包まれた夜の足尾中心部で、体育館に重厚な音が響いた。22年度に併設校となった足尾小中学校。練習に集まった足尾和太鼓チーム銅(あかがね)の中高生に、「足尾」について尋ねた。

 「職場がないので、外に出るしかないかな」。今春、宇都宮市内の専門学校へ進学する池守(いけもり)望愛(みらい)さん(18)は足尾を離れる将来を口にした。ただ、未練ものぞく。「いい町ですよ。みんな家族みたいな」

 中学3年の明神海(みょうじんうみ)さん(15)は故郷への思いを打ち明けた。「地域おこし、っていうのかな。人が来るようなことに挑戦したい」

 2人とも、足尾が好きだ。