1889年の市制・町村制施行で旧南那須町域に下江川と荒川の2村、旧烏山町域に烏山町と向田、境、七合の3村が成立した。第1回国勢調査が行われた1920年、現在の市域内人口は3万1308人だった。
人口のピークは戦後の1947年までさかのぼり、4万6690人。戦中の疎開の影響があったとみられる。昭和の大合併後の55年までは4万人台を維持していた。高度経済成長期に東京圏への流出が目立ち、70年には3万3539人にまで減少した。
第2次ベビーブームで人口減少が鈍化。宇都宮に近い南那須町域でのニュータウン建設も伴い、2000年ごろまでは3万3千人前後を維持していた。
平成の大合併で那須烏山市が誕生した05年は3万1152人だった。その後、若年層の働き口不足などを背景に急速に減少が進み、直近の20年は2万4875人。20年の調査結果を踏まえ、22年には県内の市で唯一、市全域が過疎地域に指定された。
元市職員で同市社会福祉協議会長の樋山洋平(ひやまようへい)さん(68)は「こんなに早く過疎に指定されるとは」と声を落とす。樋山さんは「福祉だけでなく、人口減少は大きな問題。若年層の増加のため、高齢者も含めて住みよい町にしていかなければならない」と語った。