<怪物・江川、雨に散る 最後の夏 最高の一球>
【1973年甲子園】
▽2回戦
作新
000 000 000 000│0
000 000 000 001x│1
銚子商
(延長十二回)
雨の記憶−。
右ポケットに入れたロージンバッグに手をやる。走者で埋まったダイヤモンド。怪物の夏が終わろうとしていた。
作新・江川卓は県予選で決勝の宇東戦を含む三つのノーヒットノーランを達成し、5試合を被安打2、75奪三振の驚異的な成績で優勝。野球ファンの注目を一身に浴びて迎えた、最後の夏だった。
センバツの圧巻的な投球で、この選手権大会も周囲の期待は膨らんだ。だが、休む間もなく続いた招待試合の影響で、剛腕の肩は重かった。
「春以降、試合で投げ続けていたので疲労感があった」。延長十二回に及んだこの試合、江川の代名詞ともいえる三振はわずか九つ。5万6千人の大観衆が期待した奪三振ショーとはいかず、“黒潮打線”の銚子商に11安打を許した。
ピンチは一度だけではなかった。延長十回裏2死一、二塁。相手打者が右前打、二走がホームへ向かう。サヨナラかと思われたが、捕手・小倉の好ブロックで間一髪、難を逃れた。
そして延長十二回。試合終盤から降り出したスコールのような雨は激しさを増し、皮肉なことにこの回で決着がつかなければ翌日に続きを行うことが発表されていた。
四球と安打で1死一、三塁から満塁策。1球目ストライクの後、二つのボールとファウルでカウントは2−2。5球目は高めのボール。フルカウントになったところでマウンドに内野手が集まった。
「お前に任せる。好きな球を投げろ」。江川の存在が桁外れであったがために、それまでマウンドに集まることはなかった。まさにチームが真のチームになった瞬間だった。
江川は当時を回想する。「全力で投げたいと思っていた。最後にみんなが集まってきてくれてよかった」
選手が定位置に戻る。大きく振りかぶり、左足を高く上げる。169球目。ダイナミックなフォームから繰り出された「最高のボール」はカクテル光線に輝く大粒の雨を切り裂いた。
「江川が負けて、なぜかさっぱりした表情だったのが忘れられない」(那須烏山市、大貫寛さん、70歳)
全国をうならせた怪物は雨に散った。だが、その押し出しになった最後の一球を責める者は、誰一人いなかった。