3位 キラキラグレーヘア 川津充世(鹿沼)

 美容院に行くのは、日常の中の「幸せ」の一つだ。美容院の大きな明るい鏡の前に座り、髪型が整えられていく様子は楽しく、どんな髪型になるのだろう? というワクワク感が抑えられない。仕事からも家事からも解放されたリラックスタイムだ。髪型は服装と並んで自分を表現できるオシャレのパーツ。といっても会社員をしていると、ある程度の色味や形が求められる。その範囲で皆それぞれのセンスや思いを表現している。

 私は数年前までは髪を栗色にし、胸までの長さにし毛先を巻いていた。が、先年の震災をきっかけに、「エコ」に目覚め、15センチほど髪を切った。シャンプーも少なくて済むしドライヤーも短い時間で済む。しかし、そんな考えとは裏腹に周りからは

 「びっくり! ずいぶん切ったのね」

 「雰囲気が全然ちがう!」

 と驚きの反応から

 「どうしたの? 何かあった?」

 と心配までされた。女性の髪型には何か意味があると思う人が多いということだろう。

 「あ、エコです」

 とにっこり笑うと髪型談義は収束する。いわゆる「女子の付き合い」だ。

 髪色を染めるには、染料が欠かせないが、私は肌が弱い。ある時、至福の美容院の椅子に座って、心地いいシャンプーの香りに包まれていた時、腹部にかゆみを感じた。

 「あれ? 蚊かな?」

 とぼりぼり掻いていると、あっちもこっちもかゆくなってくる。待ち時間を利用してトイレを借り、シャツをめくってみると腹部に赤く腫れあがった部分がところどころに浮かんでまだらになっていた。美容師に話すと

 「あー、出ちゃいましたか」

 と言われ、それからは低刺激の染料を使うようになった。低刺激、ということは染まりも弱く、思い通りの仕上がりにならない。

 この春、いつものように出勤準備でお化粧をしようと鏡の前に座って思いついた。

 「あ、白髪を染めるの、やめよう」

 40代半ばから、オシャレ染めから白髪染めに替えた。少しずつ白髪が増えてきたので、染めてひと月経つと、生え際が気になる。気になってもすぐに染められないこともあり、そんなに気にしながら過ごすなら、やめてしまえばいいのだ。と思いついた。運のいいことに、白髪の量は全体の1割に満たない。今なら周囲に気づかれないうちに、白髪交じりが目に馴染んでいくだろう。

 ところが。である。職場で打ち合わせをしていると、入社数年目の男性の視線が私の頭部と目を行き来している。

 「ん?」

 と聞くと、相当気を遣った様子で

 「え、何でもないですよ」

 と慌てる。そんなに気になるか? だから私は落ち着いて言う

 「大丈夫、そのうち見慣れるから」

 と安心させるのだ。いくら本人が「いい」と言っているのに受け入れられない人もいる。

 「まだ早い」

 「定年になってからでもいいじゃない」

 「老けて見えるよ」

 心配なのだ。私が老けて見えることが。なんとありがたいのか。そこで言う。

 「大丈夫。どう見えてもオッケイ」

 にっこり返せば相手もすこしは安心する。そして「この人には言っても無駄だ」と諦める。優しく、いい人たちなのだ。

 今、私は前髪を作らない前下がりボブにしている。白髪もほとんど毛先まで伸びた。また、追い風のように世の中は変わるもので、白髪と言われていた髪型も『グレーヘア』というオシャレな響きの呼び名になっている。オピニオンリーダーのような某アナウンサーのおかげで、白髪をそのままにしていると、『生き方に意志をもった女性』などと評される。そんなたいそうな思いはないのだが、周囲が勝手にそう思っているようだ。

 私は、人はそれぞれでいいと思うので、「白髪を染めないようにしよう」とお勧めするつもりはない。「私の白髪を、どうかどうか受け入れてください」とお願いするつもりもない。(そんなことをしなくても、私の周りの人たちは優しく受け入れてくれているのだし)。私はちょっと鈍いのか、何歳に見られようと、どうでもいい。(あ、でも1歳ごとに若く見えたら金一封という制度があるなら考えないこともない)。一つ言えることは、自然なままを受け入れるのは、とても楽でいい気持ちだということだ。

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