2月、片道10時間かけ、被災したわが家の片付けに行った時のことだ。床板が外れ、屋根瓦が落ちた家に雨水が流れ込んでいた。娘に着せたベビー服、義母愛用の着物…。大切な思い出が詰まった品々を「ごみ」として扱わざるを得ない現実に胸を痛めた。

 「元の生活を取り戻すために自分も携わりたい。でも栃木にいてはできない」。ジレンマだった。

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 大田原での日々。ある時、買い物をしていると、「ハナカンザシ」の鉢が目に入った。

 珠洲では、畑で育てた花々を使ってドライフラワー作品を作っていた。地元のイベントで販売することもあり、「ことしは事業として始める」と考えていた矢先に震災が起こった。

 白く小さなハナカンザシはドライフラワーでも人気。「お母さんのお花好き。一緒にお花屋さんやる」と瑠璃さんが言っていた記憶がよみがえった。少しだけ前を向ける気がした。

 珠洲から約120キロ離れた白山市のみなし仮設住宅で暮らし始めた。自宅に残る夫との距離は近くなり、義母とは一緒だ。珠洲に帰れる見通しは立たないままだが、その場所への愛着は消えない。ハナカンザシの花言葉の一つは「変わらぬ思い」だ。

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