左側のビルの1階と地下1階が「菊池寛実記念 智美術館」になっている=東京都港区

「第10回菊池ビエンナーレ展」の会場

大賞作品の前に立つ菊池館長

左側のビルの1階と地下1階が「菊池寛実記念 智美術館」になっている=東京都港区 「第10回菊池ビエンナーレ展」の会場 大賞作品の前に立つ菊池館長

 東京・港区虎ノ門。急勾配の「江戸見坂」を上り切った高台に、本県出身の実業家の名を冠した「菊池寛実(きくちかんじつ)記念 智(とも)美術館」がある。2003年の開館当初から、現代陶芸を対象とした「菊池ビエンナーレ」を企画。3月17日まで開催中の同展は第10回の節目となる。菊池節(きくちみさお)館長(73)に同館の成り立ちや本県との関わりなどを聞いた。

 -「菊池寛実」は“戦後の三大富豪”とまで言われた立志伝中の人物だとか。

 「旧馬頭町(現那珂川町)に生まれ、進取の気風に富む豪放磊落(らいらく)な人。25歳で炭鉱経営に乗り出し、明治から昭和の激動期に、エネルギー事業を中心として数十社の経営に参画した。美術館の敷地は寛実が晩年仕事の拠点とした場所で、創設者の智は寛実の娘で私の母。美術館設立は寛実の余光によるものとの思いから館名に付けた」

 -智が陶芸に関心を持ったのも寛実の影響か。