2年連続で総合優勝のゴールテープを切った東洋大の高見=2010年1月3日、東京・大手町
高見諒

 そういう訳で胴上げもありませんでした。主将の釜石慶太(かまいしけいた)さんが大手町で整列して一礼にすると決めたらしいです。今でも東洋大の選手がゴール後に頭を下げるのを見ますが、この時からです。実は初優勝の時のゴールテープは自宅の押し入れにしまってあります。

 3年生の時は独走状態でたすきを受けて、2位駒大とは5分以上の差。けが明けでしたが、任務をやり切れば連覇できると確信できました。胴上げもあって、みんな心から喜んでいる雰囲気でした。

 4年生の時は故障ばかりで走れませんでした。副主将も任され、個性の強い後輩をまとめることにも悩んで。振り返ると2度走って優勝もできましたが、個人的には無難なタイムで区間順位も6位と7位。自分のピークを合わせられなかった悔しさはあります。

 中学生から長距離を続けてきて、箱根駅伝は大きな目標でした。親への感謝、恩返しになればいいなと。その意味ではやり切ったと言える4年間ですね。

 たかみ・りょう 1988年、小山市生まれ。佐野日大高1、2年時の全国高校駅伝に出場。東洋大2、3年時に箱根駅伝総合優勝。優勝チームのアンカーを2度務めたのは大会史上8人目だった。現在はスポーツ用品大手ミズノ社員。

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