優れた仕事を成し遂げ、尊敬を集める「偉人」。今週から3回は栃木県の偉人を取り上げます。まずは、県民なら知らない人はいない? この人たちから。

 明治時代中期、今の日光市にあった足尾銅山の廃液により起きた公害事件(足尾銅山鉱毒事件)。問題の解決に生涯をささげたのが、田中正造です。衆院議員の田中は渡良瀬川流域の村が鉱毒の被害に苦しんでいることを議会で取り上げ、議員を辞めて天皇に直接訴え出ることまでして自然と人の命の大切さを訴え続けました。

 次に、画家の小杉放菴を紹介します。気品漂う水墨画を多く描いたほか、和歌など文芸の分野でも活躍した人物です。出身地・日光市の名誉市民で、その名前を冠した同市の美術館などで作品を見ることができます。

 名力士も生まれています。第27代横綱の栃木山守也は初土俵から7場所、わずか3敗という記録で幕内力士となります。近代スピード相撲の生みの親とも言われ、優勝9回。引退後は春日野部屋をつくり、指導に当たりました。

 本県を代表する伝統工芸品の益子焼。その名を高めたのが濱田庄司です。素朴で力強い作風は益子焼に大きな影響を与えました。日常の生活道具に美を見いだす民芸運動を推進した人物としても知られます。

 田中正造の姿勢は、国連の持続可能な開発目標(SDGs)の根本にある「誰一人取り残さない」という考え方に通じるともいわれます。

 昔に活躍した4人ですが、その生き方は色あせず、私たちが目指す社会の道しるべともなりそうです。

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