下流に移設される現在の中橋

 足利には市街地中心部を南北に二分するように渡良瀬川が流れている。同川に架かる市内13本の橋の中でも、市の発展に大きく寄与したといえるのは渡良瀬橋と中橋だろう。

 歌手森高千里(もりたかちさと)さんの歌で一躍有名になった渡良瀬橋の初代は1902(明治35)年、永久橋として架けられた。足利大非常勤講師の福島二朗(ふくしまじろう)さん(68)によると、織物産業の発展に伴い、同川左岸側を指す河北地域の旧足利町にあった織元と、右岸側の河南地域にあった賃機を結ぶために架けられたという。

 その後、17年に2代目の木橋、34年に3代目となる現在の長さ243・3メートル、幅5・5メートルの鋼橋に架け替えられた。

 「ブレースドリブタイトアーチ」と呼ばれる3連アーチが印象深い中橋も、織物産業と関係する。

 織物製品輸送のために1899年、東武鉄道が設立。1907年に東京-足利間が開通すると、河南にある足利町停車場(現足利市駅)と河北の旧足利町を結ぶため、同社が私費を投じて舟橋を架けた。しかし増水時の取り外しなどが必要だったため、34年に県、市、東武鉄道の3者が共同で現在の中橋を建設し、36年に開通した。

 長さ295・1メートル、幅11メートルで、中央のアーチが両翼よりも40センチ短いことが、さらなる美観を演出している。

 中橋は現在、橋の取り付け部付近の堤防が低いことなどを理由に架け替え工事が進む。現橋は歩行者・自転車専用の橋として下流に移動される。福島さんは「3連アーチは地域の交流のシンボル。発展の語り部として残していくことが大事だ」と説く。