太平洋戦争末期に地上戦が行われた沖縄県。市民が戦いに巻き込まれる中、栃木県出身の荒井退造という官僚が市民を守ろうと奔走しました。

 荒井は1900年、宇都宮市に生まれました。現在の宇都宮高を卒業後、警視庁巡査になりました。27歳で高等文官試験に合格。福井県官房長などを務め、43年に沖縄県警察部長になりました。

 沖縄の戦争が激しくなる中、疎開政策に消極的だった当時の知事に代わって市民の疎開を進めました。島田叡知事になってからは二人三脚で20万人の命を救ったといわれています。45年6月、島田知事と消息を絶ち、遺体は見つかっていません。

 51年、沖縄県では県民の安全確保に力を尽くした荒井ら県職員を慰霊する「島守の塔」が建てられました。

 栃木県内でも荒井を知ってもらおうという動きが広がっています。NPO法人菜の花街道は10年ほどから、荒井の生涯や取り組みを紹介する展示会、講演会などを開いています。2016年には、宇都宮市上籠谷町にある荒井の生家の庭に顕彰碑を設置しました。母校の宇都宮高は17年から学校と生家を往復する新春ランニングを行っています。

 22年には荒井らの姿を描いた映画が公開されました。

 同法人の荒井俊典代表(85)は、平和の尊さ、忘れられつつあると感じる戦争の悲惨さを多くの人に知ってもらうため「命ある限り活動を続けたい」と強い意志を持っています。

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