本県が誕生した1873年、町域には23の村があった。村々は大日本帝国憲法が発布された1889(明治22)年、町村制施行による合併により、阿久津村と北高根沢村の2村に集約された。
阿久津村は戦後から8年たった1953年、阿久津町となり、57年ごろの人口は1万803人を数えた。
一方の北高根沢村は54年、経済圏などが共通する熟田村南部の伏久、文挾(ふばさみ)、飯室の3地区を編入し、人口は1万478人となった。
町村合併促進法により58年に阿久津町と北高根沢村は合併し、人口2万3988人の高根沢町が誕生した。その後、芳賀町の一部を編入。また、上阿久津など町の一部が氏家町(現さくら市)に編入された影響などで人口はわずかに増減した。65年以降は町や近隣への企業進出などに伴い、再び増加をたどる。
国勢調査によると、町の人口は2005年に3万915人とピークを迎えた。光陽台や宝石台の住宅地造成が完了し、ファミリー層の増加も一因という。
今年4月1日時点の人口は2万8963人。元町史編さん室長で町文化財保護審議会の小川典男(おがわつねお)会長(72)は「加藤公博(かとうきみひろ)町長が掲げる新たな産業団地造成や新庁舎建設などが人口増加の弾みとなれば」と、通勤や通学に便利な町への移住を期待している。
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