国際医療福祉大で薬学の勉強に励む橋本さん

ガールズケイリン選手時代の橋本さん(公益財団法人JKA提供)

国際医療福祉大で薬学の勉強に励む橋本さん ガールズケイリン選手時代の橋本さん(公益財団法人JKA提供)

 【大田原】競輪のバンクから薬学の道へ-。下野市出身で女子競輪「ガールズケイリン」元選手の橋本蒔子(はしもとまきこ)さん(24)は昨春、国際医療福祉大に進学し、薬剤師を目指し勉学に励んでいる。高校時代に一念発起し、飛び込んだプロスポーツの世界。結果を残せず、悔しさを味わったが、養成所時代に出会った恩師の言葉を胸に新たな人生を走り始めている。

 橋本さんは国学院栃木高3年時に1台のスポーツ自転車(クロスバイク)を購入し、のめり込んだ。医療系大学への進学を目指し受験勉強漬けの日々の中、「前にしか進まない」自転車に乗り「自分も前に進める」と感じたのだという。

 そんな中、中学時代の教師から「そんなに自転車が好きなら競輪という道もある」と聞いたことが転機に。激しいスポーツの経験はなかったものの、「これしかない」と直感。高校卒業まで約9カ月というタイミングで、競輪を統括する公益財団法人JKAが運営する日本競輪選手養成所に目標を切り替え、17年1月に見事合格を果たした。

 養成所卒業後、18年7月に競輪選手としてデビューしたが、プロの世界は甘くなかった。競輪には成績下位の選手を強制的に引退させる「代謝制度」がある。デビューから約1年半で、3位までに入る入着回数は2回にとどまり、20年1月に無念の引退となった。

 厳しい勝負の世界で橋本さんを支えたのが「土台なくして素材は乗らない。焦りは禁物」との言葉だ。養成所時代、自転車競技の日本代表経験もある教官の岡希美(おかのぞみ)さん(36)がかけてくれた。周囲のレベルの高さに圧倒され、焦燥感に駆られていた橋本さんにとって、自身を奮い立たせる金言となった。

 「競輪では1番になれなかったけれど、別の道で新たな夢をかなえたい」との思いから引退後、再び医療の道を志した。「土台が大事」という岡さんの言葉を胸に、中学生で習う範囲から勉強をやり直した。予備校にも通わず、独学で国福大薬学部に合格した。

 「必死で努力したケイリン時代の経験と恩師の言葉は、今の私の原動力になっている」と橋本さん。他の学生にはまずない貴重な経験を生かし「病気を治す根本の薬の研究や、元選手だからこそできるアンチドーピング活動にも取り組みたい。自分にしかできないことを実現するため、努力し続けたい」と力強く語る。