約135年前、市域に70以上あった村々は、1889年の町村制施行で高林、東那須野、鍋掛、西那須野、狩野、箒根、塩原の7村に合併。91年の人口は1万7008人だった。
1912~32年に東那須野村の一部が黒磯町、塩原村が塩原町、西那須野村が西那須野町となり、35年には4万3333人に。55~56年に黒磯町と高林、東那須野、鍋掛3村が合併した新黒磯町、西那須野町と狩野村が合併した新西那須野町、塩原町と箒根村が合併した新塩原町が誕生し、約6万1800人となった。
70年には6万9009人に。黒磯町はブリヂストンをはじめとする企業が次々と基幹工場を設置した結果、55年からの15年間で1・3倍の3万7800人に増加し、市制施行により黒磯市となった。JR黒磯駅前でガソリンスタンドを経営する滝澤資介(たきざわもとすけ)さん(71)は「小学5年の頃に転校生が10人くらい来て、みんなお父さんがブリヂストンやミツヤ送風機で働いていた」と振り返った。
2000年には11万828人に。1市2町の中でも西那須野町は74年の東北自動車道西那須野塩原インターチェンジの開業や工業団地分譲などの影響で、2倍以上の4万3186人に増えた。05年1月には1市2町が合併した那須塩原市が誕生。その後は10年の11万7812人をピークに減少し、今年3月1日時点で11万4487人となっている。