この100年、日本の人口が倍増する一方で、日光市の人口は増減を繰り返し、今は1920(大正9)年当時より1万人以上減った。人口減少は市にとって最も頭の痛い問題だ。
明治新政府は、現在の栃木県が誕生する以前の1869年には「日光県」を設置した。そこから発展した日光市は、89年の市制・町制施行で10の町村に集約される。人口のピークは合併がさらに進んだ1955年。日光、今市、足尾、栗山、藤原の5市町村で11万2940人を数えた。
「祭りを楽しむ子どもの多さ、商店街で買い物をする市民の活気が印象的」。市歴史民俗資料館の福田博晃(ふくだひろあき)主任は当時の写真を指す。
9万人台後半で推移していた市人口は95年以降は減少が続く。新市が誕生した2006年は9万3158人。20年は7万7661人に減少、60年には3万人を割り込むという推計もある。
危機的な状況の中、市の取り組みでヒントを求めたのが「交流人口」というキーワードだ。年間1千万人近くが訪れる強みを生かし、訪れる人、関係する人を増やすことで定住人口の減少をカバー、経済的基盤の維持につなげようというのだ。
郷土を次世代に引き継ぐ。現代を生きる市民に課せられた最も重要な課題でもある。