【とちぎ高校野球 読者が選ぶ名勝負】第9位 作新0−0八幡商 「名門」へ踏み出す

<「名門」へ踏み出す 険しい道のりの第一歩>

【1962年センバツ大会】

 ▽準々決勝(延長十八回)

八幡商

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作新

 史上初の甲子園春夏連覇。前人未到の境地を切り開いたからこそ、“名門”の称号を手にした。作新がそこに到達するまでの険しい道のりの第一歩は、初優勝を果たした1962(昭和37)年の第34回センバツ大会。とりわけ4月4日に行われた準々決勝だった。

 苦しかった分だけ、人々の記憶の奥深くに刻まれた。八幡商(滋賀)との一戦は、0−0のまま延長18回引き分けとなり、翌5日の再試合で2−0の完封勝ち。18回を完投し、再試合でも序盤から救援のマウンドに立ったエース八木沢はこう回想する。

 「今、思えば私の野球人生の中で、精神的にも肉体的にも、これほどまで疲れた試合は他に経験がありません」

 2年連続2度目のセンバツ甲子園で、好投手・八木沢を擁し、優勝候補の一角とされていた。初戦となった2回戦の久賀(山口)戦は、全員安打の15安打で打ち勝ち5−2。打力もアピールした。

 だが準々決勝は一転、八幡商・駒井の落ちるカーブに手が出ず、打線が沈黙した。力投を続ける八木沢を援護できなかったが、鍛え抜かれた守りで支えた。「作新の守備は安心してテレビ観戦ができました。セカンド佐山、ショート中野は特別でした」(宇都宮市、小林一昭さん、66歳)。

 堅い守りを築くきっかけは前年夏の北関東大会決勝にあった。エラー絡みで、宇学(現文星付)に1−2で敗れた。当時、部長を務めていた山本理氏は後にこう振り返った。「連日、内外野にノックの雨を降らせた。選手はよく耐えた。このチームで、その後エラーはなかったと思う」

 再試合を制して以降の戦いも、薄氷の勝利の連続だった。松山商(愛媛)との準決勝は、延長十六回の末、3−2。決勝の日大三(東京)戦は1−0。準々決勝から決勝までは連続4日間、試合が行われ、そのトータルイニングは実に52回に及んだ。

 利根川を初めて渡ったセンバツの栄冠。それは「北関東に勇気とやる気をもたらし、野球少年に希望を与えてくれた」(宇都宮市、矢古宇一教さん、77歳)。紫紺の大優勝旗は、いまだ本県以北にもたらされていない。