八幡山公園にあった観覧車が写った写真。1980年3月12日付の本紙に掲載された

観覧車があった場所に立つ宇都宮タワー

観覧車が見切れている写真が掲載された紙面

八幡山公園にあった観覧車が写った写真。1980年3月12日付の本紙に掲載された 観覧車があった場所に立つ宇都宮タワー 観覧車が見切れている写真が掲載された紙面

 栃木県内各所で春本番の暖かさの中、宇都宮市八幡山公園ではソメイヨシノが既に満開となり、花見客の姿が戻り始めている。この公園に「かつて観覧車があったようだ」との情報が、読者から「あなた発 とちぎ特命取材班」(あなとち)に寄せられた。宇都宮タワーがそびえる場所にあったらしい。「宮っ子」の私にふさわしいテーマだ。使命感を胸に取材した。

 まずは足掛かりとなる情報をつかもうと、市公園管理課に観覧車の設置時期を聞いてみた。しかし回答は「資料が残っておらず、分かりません」。

 過去の下野新聞紙面からひもとくことにした。本社に残る縮刷版によると、宇都宮タワーの建設は1980年3月に開始。約7カ月で完成した。同年11月6日付の記事には「市が中心となって同公園内の、観覧車跡地に建設」とあった。

 ならば、観覧車が撤去されたのは80年よりも前か。観覧車が設置された時期は見当もつかず、撤去の時期から探った。

 同僚の手も借り、雲をつかむような作業を続けること1カ月半。観覧車に関する記事はなく、探すのを諦めかけた時、観覧車が写った写真が見つかった。

 80年3月12日付に掲載された、市の「新予算重点事業」の記事。写真の右端に観覧車のゴンドラがわずかに見える。その写真のネガフィルムを確認すると、掲載記事よりも観覧車の多くの部分が写っていた。

 観覧車らしい構造物と楕円(だえん)形のゴンドラ。シンプルで控えめな姿だが、多くの宮っ子を乗せて回ったに違いない。

 この施設がどれだけの市民の記憶に残っているのだろう-。当時の八幡山公園の様子を知っていると思われる、50代以上の市民10人以上に取材した。

 同市下小池町、うつのみやシティガイド協会の会員平野多美子(ひらのたみこ)さん(75)は「子どもの頃は1回10円で乗れたと思う。20代の時はまだありました」と教えてくれた。同市八幡山の麓に住んだという東戸祭1丁目、会社員阿由葉昇(あゆはのぼる)さん(64)は「物心がついた頃にはあり何度も乗った。赤や黄色のゴンドラは狭かったけど4人乗りだったかな」と懐かしむ。

 集まった情報はいずれも半世紀ほど前の記憶。大きさについて、平野さんは「あまり大きくなかった」、阿由葉さんは「(鹿沼市の)千手山公園の一回りか二回り大きい程度」とあいまいだった。公園にはかつて、子どもの乗り物やプールなどがあり、そうした施設の記憶の方が多く残っているようだった。

 取材を始め、情報の少なさに“幻の存在”ではないかと疑ってしまった八幡山公園の観覧車。ようやく、少しだけ存在を確かめられた。とはいえ、具体的な大きさや設置、撤去の時期はつかめなかった。本紙記事から発見した写真でも全体像は分からない。

 パズルのピースのように記憶が集まれば、観覧車の全貌がきっと見えるはず。引き続き往年の様子を知る人への取材などを重ね、続報を書きたい。