東日本大震災の発生から丸12年になるのを前に、河北新報「読者とともに 特別報道室」など双方向型の調査報道に取り組む全国の16地方紙が実施した読者アンケートの自由記述に、「震災遺構についてもっと情報発信してほしい」との声を見つけた。被災地を初めて訪れる人に興味を持ってもらうにはどうすればいいのだろう。出張先の仙台市内で仕事を終え、帰りの新幹線まで半日ある会社員-という設定で、震災後に入社した25歳の記者が市沿岸部の震災遺構「荒浜小」周辺に足を運んだ。

せっかく仙台まで来たのだから、被災地を一度は見たい。仙台駅前でランチを済ませてからスマートフォンで調べると、津波被害に遭った荒浜小まで地下鉄とバスを乗り継ぎ、最短約35分で着くと分かった。意外と近い。
荒浜小の目の前でバスを降りると、とにかく海風が強い。髪を押さえていないと前が見えないほど。防風林が津波で流されたからだろうか。震災前は周辺に2200人が住んでいたというが、想像できない。
荒れ地にそびえる地上4階の建物が荒浜小。ぐにゃぐにゃに曲がった2階の手すりの下から校舎に入る。1階の教室では黒板がはがれ、骨組みがむき出しに。2階の床上40センチまで濁流が押し寄せ、天井の茶色いしぶきの痕跡が生々しい。
家庭科室の壁には野菜の切り方を紹介するイラストが張られたまま。激しく損傷した校舎と、かつてあった日常とのギャップに胸が痛む。津波を逃れて身を寄せた児童と教職員、地元住民ら約320人はどんな気持ちだったのだろう。

小一時間の見学を終えても、新幹線までまだ時間がある。スマホで検索すると、徒歩5分の場所に体験型観光農園「JRフルーツパーク仙台あらはま」がある。人生初の「イチゴ狩り体験」に興味を引かれ、立ち寄ることにした。
30分食べ放題で2200円。真っ赤に熟した実を選び、口に放り込む。品種は宮城県産オリジナルの「にこにこベリー」。栽培技術を指導する山村真弓さん(64)が「甘さと酸味のバランスがいい」と言う通り、何個でも食べられそうだ。
かつては住宅地だった。農地が細長かったり、四角でなかったりするのは震災前の区画を生かしたためだという。今は甘酸っぱいイチゴが実る畑に生まれ変わった。復興を肌で感じた。
軽い気持ちで被災地を訪ねることに罪悪感を覚える人がいるかもしれない。「何が目的でも、来てもらえるのはありがたい。想定していなかった感情を抱いてもらえたら、意味があると思う」と市防災環境都市推進室の片桐充博さん(43)。その言葉が心強かった。
(河北新報)

【メモ】東日本大震災の爪痕を伝える震災遺構は宮城県内に少なくとも約10カ所あり、津波被害を受けた学校や鉄道駅、交番が残されている。震災遺構の保存を巡っては賛否が分かれるケースもあり、町職員ら43人が犠牲になった南三陸町防災対策庁舎は議論を尽くすため、2031年まで県有化された。震災後に住民が離散した地域の記憶を語り継ぐ狙いもあって保存を目指す動きが強まった半面、遺族らがつらい記憶を呼び起こすとして解体を求める声も根強い。