-いつ頃から東京五輪が最後と決めていたか。
「具体的にこの日にというのはないが、休養した2019年に、『辞めてもいいんだよ』とたくさんの方から言っていただいて、僕自身、その時に初めて『引退かな』と思ったが、やはり自分の心の中でもう一度ちゃんと泳ぎたいという気持ちがあった。水泳に立ち向かっていきたいと思っていて、それからつらいこともいっぱいあったが、休養はまだコロナで(五輪が)延期になる前だったので、(当初五輪代表選考会だった20年の)日本選手権で代表落ちることがあったら、そこが自分にとって最後だなと決めて臨んだ」
-そう思うきっかけとなった出来事は。
「体力もそうだし、気力もそうだし、もしかしたら以前のようにしがみつくような気持ちがなくなっていたのかもしれない。現役の最後の方は結果を追い求めるというよりは、『なぜ自分は泳いでいるのだろう』と思いながら泳いでいた。現時点での僕なりの答えは見つけられた。なかなか結果が付いてこない苦しい日々も精いっぱいやって良かったなと思う」
-心に決める前に誰かに相談したか。
「平井先生に最初に相談した。シチュエーションはあまり覚えていない。平井先生は僕よりも僕のことをよく知っているので、そういったこと(引退の意向)は感じていたと思う」
-東京五輪のレース後の涙が印象的だった。
「正直、実力的には準決勝で落ちてもおかしくなかった。まさかもう1本いけるとは思わなかった。心の底からうれしいと思ったのは、本当に幼少期の頃以来だったかもしれない」
-瀬戸選手へ報告は。
「伝えていない。と言うよりも、この記者会見より前に記事が出ていたので、そこでやりとりはした。『本当にお疲れさま』と言ってもらって、『ありがとう』と伝えた。彼がいなかったら僕はいないですから」
-瀬戸選手とのレースで一番印象に残っているレースは。
「選べない。いつもは勝っても負けても彼(との試合)の時だけは『次はどっちが勝つか分からないよね』と互いに話す、何か特別な、不思議な関係があったので。それももうないと思うと寂しい気もする」
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