5度目の五輪でメダルを目指す中山=5月18日のテスト大会、都内

 25年前、埼玉栄高3年の夏。「クレー射撃で五輪を目指してみないか」。ソフトボール強豪校の捕手として活躍していた中山の下へ、新しくクレー射撃部を立ち上げようとしていた日立建機の担当者が熱心に足を運んだ。

 ルールも知らず、興味もない。だが会社の熱意にひかれ、関心も増していった。監督の「競技は違っても中山なら五輪を目指せる」という一言が人生の分岐点になった。

 動体視力、身体能力、瞬発力、忍耐力は高校トップクラス。白羽の矢が立ったのは、ソフトボール女子の元日本代表監督で当時日立高崎監督だった宇津木妙子(うつぎたえこ)さんが「ソフトボール界でもほしいけど、日立グループのためなら」と推したこともあった。

 競技を始めて2年足らずで2000年シドニー五輪の出場枠を獲得。大会後1度引退し、03年に復帰。北京五輪は母となり、長女芽生(めい)さんと挑み、健闘の4位。ロンドン五輪は15位惨敗で、応援団長を買って出た一人娘の涙に「もう1度挑戦したい」と決意。だが4度目のリオデジャネイロ五輪も結果を残せず「限界なのか」と自問した。

 母親と競技者を両立してきた。順大大学院に通っていた19年夏は「二足じゃない、三足のわらじです」と笑った。そんな環境が「精神的にも肉体的にも強くしてくれた」と振り返る。

 大学2年の芽生さんが住むのは五輪会場の陸上自衛隊朝霞訓練場近く。全ては東京五輪のためだ。街のラッピングバスやポスターにはオリンピアンの母の姿。2人は五輪と共に歩んできた。集大成を迎える42歳は「夢を追い掛けてきた気持ちを共有したい。そして有終の美を飾れれば」。娘の首にメダルを掛ける姿を思い描いている。

 【プロフィル】なかやま・ゆきえ 1979年生まれ。小山市出身。順大大学院スポーツ健康科学研究科修士課程修了。シドニー、北京、ロンドン、リオデジャネイロ五輪代表。2019年アジア選手権大会で3位に入り、東京五輪代表内定。日立建機所属。茨城県結城市在住。