
足利市北部の山あいに、多くの文人らが滞留した旅荘「巌華園(がんかえん)」があります。知識人に好まれた庭園も魅力的な宿の歴史を探ります。
「巌華園」は元々、敷地内の築山を指す名称でした。今は建物も含む施設全体を指します。名付けたのは江戸時代の武士で文人画家だった渡辺崋山(わたなべかざん)。この地の字名だった「岩花(がんか)」の「岩(巌)」に、自らの「華」をかけたとされています。
国登録有形文化財には主屋(しゅおく)をはじめ蔵や新蔵、ゲストハウス(旧書院)など計7棟が指定されています。いずれも江戸時代末期までに建てられました。

木々に囲まれてたたずむ巌華園の主屋
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