日光の美術工芸品を世界に売り出し、国内若手芸術家の育成に尽力した旧壬生藩士がいる。実業家守田兵蔵(もりたへいぞう)だ。守田は明治時代の日光の絵画や漆工芸品などを外国人の避暑客らに販売し、「日光ブランド」を世界に広めた。日光市内の邸宅に美術工芸品を展示販売する「鍾美館(しょうびかん)」を造り、工芸品を作る職人を育成し、日光の産業振興に尽力した。守田とは何者か、その人生をたどった。
守田は1844年、壬生藩目付け役の子どもとして生まれた。10歳で母を、16歳で父を亡くして家督を継ぎ、藩の剣術「聖徳太子流」を学んだ。70年には江戸で関流算術の免許を受け、測量学を習得。3年後には工部省に出仕し技師として各地の鉱山を回り、秋田県阿仁鉱山や栃木県足尾銅山などにも勤務した。
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