79回目の「広島原爆の日」を迎えた6日、広島市中区の平和記念公園で営まれた平和記念式典に、栃木県の10市町の中学生計142人が参列した。原爆死没者の冥福を祈り、式典で発せられた平和へのメッセージを友人らに伝える決意を示した。一方、本県の遺族代表者の出席は高齢化などにより9年連続の見送りとなった。広島県に住む本県出身者はテレビで式典を見守り、核兵器の廃絶などを願った。
午前8時15分。晴れ渡った空から強い日差しが照りつける中、原爆が投下された時刻になった。「平和の鐘」が鳴り響き、参列者は目を閉じて黙とうした。
栃木市大平中2年の柴崎結介(しばざきゆうすけ)さん(13)は、小学生2人による「平和の誓い」をじっと見つめ、聞き入った。原爆が投下された当時の広島を想像した。「願うだけでは平和は訪れない」との一言が心に残った。「これからは平和について自ら考えていきたい」と思いを新たにした。
松井一実(まついかずみ)広島市長は「平和宣言」で、ロシアのウクライナ侵攻など、罪のない人々の命などが奪われている現状に言及した。
「79年前に同じ事が起こっていたんだ」。小山中2年中山瑞希(なかやまみずき)さん(13)は会場でそう感じた。「戦争は人ごとでなく、身近にある」とも考えた。
1発の原爆が多くの命を奪い、今も後遺症に苦む人がいることに恐ろしさを覚えた。「式典で見たことや感じたことを、学校に戻って友人や先生に伝えたい」と胸の内を語った。
式典後、原爆死没者慰霊碑には献花のために長蛇の列ができた。栃木市の中学生も献花台に花を手向け、手を合わせた。
ひろしま栃木県人会会員の広島市東区、石原秀一(いしはらひでいち)さん(80)は自宅のテレビで式典を見つめた。鹿沼市出身で1968年、就職に伴い広島に来た。同僚らと話す中、原爆について理解を深めた。毎年この日、平和記念公園に足を運ぶ。「核で相手を脅すようなことはしてはいけない。世界から核兵器がなくなってほしい」。そう語気を強めた。