全国から訪れた見物客約12万人が、アジアで初めて開かれた世界最高峰の自転車レースに熱狂した。
1990年8月、宇都宮市森林公園など同市内で開かれた「世界選手権自転車競技大会ロード競技」。その灯火は92年からジャパンカップへと受け継がれ、今も多くの自転車ファンに愛されている。
実行委員として大会誘致に奔走した日本自転車競技連盟顧問大島研一(おおしまけんいち)さん(72)=那須塩原市=は「開催には(当時の)増山道保(ますやまみちほ)市長の英断があった」と振り返る。
残り:約 1054文字/全文:1301文字
この記事は「下野新聞デジタル」の
会員
のみご覧いただけます。
下野新聞デジタルに会員登録すると…
- 事件事故や高校野球・イベントなど速報でとちぎの「今」が分かる
さらにスタンダードプランなら…
- デジタル有料記事の大半が読める
- 教育や仕事に役立つ情報が充実
愛読者・フルプランなら…
- アプリも使えて、おくやみ情報もいち早く