最近、よく耳にする「女性活躍」。女性が活躍することが今よりもずっと難しかった時代に奮闘し、それぞれの分野に名前を刻んだ先人たちがいます。
特に宮っ子にはなじみ深い宇都宮短大や同短大付属高。これらを運営する須賀学園を1900(明治33)年につくったのが須賀栄子です。私立の女子教育機関としては県内初。「女子に教育は不要」と考えられていた時代でした。
日本バレエの先駆者も誕生しています。宇都宮市生まれの舞踊家橘秋子は、東京・吉祥寺に学校法人として日本初のバレエ学校を設立。世界で活躍するプリマを育て、バレエを広く知ってほしいと公演の開催に力を注ぎました。
第2次世界大戦後に認められた女性の参政権(政治に参加する権利)。戦後初の衆院選で「女性代議士第1号」として県内トップ当選を果たした戸叶里子は、女性の地位向上のため反発にもひるまず活動して全国にその名をとどろかせました。
小説家吉屋信子は、多感な少女時代を本県で過ごしています。小説で描かれる美しく優しい女性の世界は、女性読者らの大きな支持を得ました。代表作に「海の極みまで」「徳川の婦人たち」などがあります。
64(昭和39)年の東京五輪で金メダルに輝いた女子バレーの日本代表“東洋の魔女”。メンバーの一人に半田百合子さん(83)がいます。この金メダルは本県第1号。新競技の誕生や世界で活躍する選手に今も注目が集まっていますが、スポーツの分野で輝かしい成果を初めて栃木にもたらしたのは、女性でした。