那須塩原市関谷から国道400号を西に向かうと、箒川の流れに沿うように塩原温泉街が姿を見せる。移り変わる時代に対応しながら、昔ながらの風情を残してきた。
塩原温泉は、806年に元湯が発見されたことが起源と伝わる。「塩原」の名は、奥蘭田(おくらんでん)が「塩渓紀勝」を、尾崎紅葉(おざきこうよう)が「金色夜叉」を執筆したことで全国に広まった。1884年には、当時の県令三島通庸(みしまみちつね)が陣頭指揮を執り塩原街道(現国道400号)を開通させた。この3人は「塩原温泉三恩人」と呼ばれ、毎年9月には3人をたたえる感謝祭も開かれる。
温泉街は昭和末期から平成初頭にかけ、にぎわいのピークを迎える。
1965年にバレーラインが完全舗装化されたほか、72年に日塩もみじラインが開通。74年には東北自動車道西那須野塩原インターチェンジも完成し、温泉街へのアクセスが格段に向上した。バブル期はバスで訪れる社員旅行などの団体客の姿も目立つようになり、街を多くの人が行き交った。
しかし、バブル崩壊後に観光客は減少した。塩原温泉観光協会の74年以降の統計では、塩原温泉の宿泊者数は91年の約146万人がピーク。以降は徐々に落ち込んでいき、2020年には新型コロナウイルスの打撃も受け、約40万人にまで客足が遠のいている。
同協会の相田公司(あいだこうじ)事務局長(56)は「街の活性化が必要」と話し、現在はマラソン大会、花火大会など年間を通して多様なイベントが開かれ、温泉街全体で集客増加に腐心している。
相田事務局長は「時代に合わせたまちづくりをしていきたい」と将来を見据える。