線路沿いに造成が進む野木ローズタウン=1982年、松本圭司さん提供

 JR野木駅の南側を中心に、整然と住宅が立ち並ぶ一帯がある。野木町内最大の住宅団地・野木ローズタウンだ。

 1960年代に市町村合併ではなく、自主独立の道を選んだ同町は積極的な企業誘致や、首都圏のベッドタウン化による発展を図った。そのような中、82年に電鉄系デベロッパーの京成不動産が野木ローズタウンの第1期分譲を開始した。バブル経済幕開けの一歩手前の時期だった。

 都内まで在来線で1時間余りという立地の良さや、首都圏に比べて安い価格で一戸建てが購入できるとあって、都内や千葉、埼玉県内などから移住者が相次いだ。90年代半ばまで30期を超える新規分譲が続き、世帯数は1600を超えるまでになった。

 京成不動産が90年代初めに発行した小冊子「野木ローズタウンものがたり」には「楽に(電車に)座って通勤ができる」「公園が多く、図書館など施設も充実している」といった移住者の声が並ぶ。94年に千葉市から移住した、野木町議の梅澤秀哉(うめざわひでや)さん(67)は「当時は都内でサラリーマンをしていました。価格や都心への近さはやはり魅力的でした」と振り返る。

 隆盛を誇った野木ローズタウンだが、分譲開始から40年以上がたった現在、一気に高齢化の波が押し寄せている。分譲初期に移住した人の多くは70代後半に差しかかっている。

 地域の交流を深めるため、梅澤さんらが住む新橋区では2年ほど前から、子どもたちを交えたラジオ体操を実施。昨年は延べ約500人が参加した。梅澤さんは「地域コミュニティーの成熟につながれば」と期待する。