母校を16年ぶりの甲子園へ導いた指揮官は青空の下、気持ちよさそうに5度、宙を舞った。「熱い夏だった。選手たちは本当に前向きに戦ってくれました」とねぎらった。
文星芸大付属(当時宇都宮学園)高から日大、社会人野球の三菱ふそう川崎に進み、捕手として活躍した。高校時代は主将で4番。センバツ、夏の甲子園に1度ずつ出場し、社会人時代は3度、都市対抗野球大会優勝を経験した。2005年のアジア選手権に出場し優勝するなど、日本代表経験も豊富だ。
16年から文星芸大付高のコーチに就任し、18年秋から監督として指揮を執る。自身の経験談を交えて「レベルの高い野球を伝える」ことを大切にしている。
就任後初めて挑んだ19年夏の栃木大会では、決勝で作新学院に2-6で敗れ準優勝。「作新の勢いを止めるチームをつくらなければ」。当時味わった悔しさが原動力だ。現チームは昨秋、今春と2度、作新学院に苦杯を喫しており、「三度目の正直」で念願だった自身初の県タイトルを手にした。
監督として臨む初の甲子園。「まずは野球に集中できる環境を整えてあげたい」とし、「気持ちで引かずに思い切ってプレーしてほしい」と教え子たちの晴れ姿に思いをはせた。宇都宮市在住。49歳。