正月の風物詩となった東京箱根間往復大学駅伝(箱根駅伝)。下野新聞では2000年代前半から記者を派遣し、栃木県勢の活躍を報じている。高校駅伝の取材の裏側については別の記事「地方紙は全国高校駅伝をどうやって取材しているのか 鉄道、徒歩…知られざる舞台裏」で紹介した通りだが、都大路をはるかに上回る取材の困難さがあるのが、箱根駅伝だ。取材経験者の一人として、その裏側についても紹介する。
ご存じのように、箱根駅伝は1月2、3日の2日間、東京・大手町から神奈川県箱根町の芦ノ湖までの往路5区間107.5キロ、復路5区間109.6キロの計217.1キロで争う。お茶の間の注目度は高く、テレビ中継の世帯平均視聴率(関東地方)は30%前後に上る。
高校駅伝の記事でも触れたが、駅伝取材の大変さは「試合会場」の広さに尽きる。都大路は直径10キロ圏だったが、箱根駅伝は100キロ超。そのスケールは別格だ。
下野新聞が箱根駅伝の取材に割いている人員は例年、カメラ撮影を含めて1人か2人。各大学で出走する栃木県出身選手を追いかけるため、ゴールで待っていればいいというわけにはいかない。
戦いは事前の情報収集から
取材の計画を立てる上で、事前の情報収集は欠かせない。県勢がどの区間に起用されるかで当日の動きが変わるため、「この選手は当日変更で走るはず」「山(5、6区)要員では」などと思案する。
近年では1万メートル28分台の記録を持つ選手が珍しくなくなり、各大学の選手層は厚くなるばかり。直前の体調一つで選手起用は変わるため、区間予測は難しさを増している。
最終的には、当日スタート1時間前のメンバー変更を確認してから動き方が決まる。県勢の区間配置と乗り換え案内をにらんだ、瞬時の判断を迫られる。
中継所への移動はJR山手線や東海道線などを使う。第1中継所の鶴見(横浜市鶴見区)と第4中継所の小田原(神奈川県小田原市)は最寄り駅が近いが、第2中継所の戸塚(横浜市戸塚区)と第3中継所の平塚(神奈川県平塚市)は駅から離れているので、そこも勘案する必要がある。
大手町から戸塚、そして芦ノ湖へ
5年間担当した箱根駅伝取材の中で、最も過酷だった記憶として残るのは2014年の第90回大会往路。県勢は花の2区に国士舘大・菊池貴文選手(黒磯南高出身)、3区に明治大・八木沢元樹選手と中央学院大・塩谷桂大選手(いずれも那須拓陽高出身)、5区の山上りに明治大・横手健選手(作新学院高出身、現富士通)など実績のあるランナーがそろった。
まずは大手町から戸塚へ。最寄りのJR戸塚駅からは約2キロを歩いて中継所に到着。菊池選手のたすき渡し、八木沢選手らが走り出す姿を撮影し、一つ目の任務は果たした。
次は5区の横手選手を狙う。たすきを受け取る小田原には間に合いそうもないが、ゴールの芦ノ湖なら先回りできるかもしれない。戸塚駅までの帰り。タクシーは容易につかまらない。カメラやパソコンが入った重たいリュックを背負い、人並みをかき分けて走る。
東海道線で小田原駅に着き、タクシーに飛び乗る。行き先を告げると、ドライバーは箱根駅伝のコースを巧みに避けて、ターンパイク方面から箱根の山道を上っていく。
それでも、芦ノ湖が見えない段階で渋滞に巻き込まれた。車列は動かない。ラジオでは5区の選手がゴールに近づきつつあることを伝えている。「行くしかない」。タクシーを降り、芦ノ湖までは起伏のある数キロの道のり。全力走で辛くも間に合い、選手たちのきつさを何百分の1かは味わった気がした。
すべては県勢の晴れ姿のため
今回で99回の歴史を刻む箱根駅伝。関東で唯一、本拠地を置く大学が箱根駅伝に出場していない栃木県だが、出身者では西田隆維さん(佐野日大高-駒澤大)、宇賀地強さん(作新学院高-駒澤大、現コニカミノルタコーチ)をはじめ、箱根駅伝を経て実業団で活躍した選手も多い。
一方で、箱根駅伝が競技人生の集大成という選手も少なくない。一人でも多くの県勢選手の晴れ姿を写真に収め、声を拾い、喜ぶ地元の人たちに届けたい。大変さでは指折りの箱根駅伝取材だが、地方紙記者にとって頑張りがいのある取材なのは間違いない。