スポーツと言えば「感動」である。まさに今はサッカーのワールドカップの真っ最中で、今秋には、本県で国体と全国障害者スポーツ大会が開催された。躍動する選手たちの姿や好勝負は、どれほど多くの人の心を揺さぶっただろう。

 しばしば目にしたのは「感動をもらう(いただく)」「感動をありがとう」「感動を与えたい」といった言い回しだ。実は少々引っかかる。「感動」はプレゼントのように他者とやりとりするものなのか、自分の心の中から湧き上がる主体的なものではないのかと。

 無粋を承知で理屈をこねてみたが、スポーツが感動を呼び起こす力を持つことは確かだ。くだんの表現は、そのことを簡便に言い表す言葉として定着している。競技者への敬意も示すことができる。

 しかし、もし2000年の大相撲夏場所表彰式で、小泉純一郎首相が貴乃花に発した絶叫が「感動した!」ではなく「感動をありがとう!」だったら…。なんか締まらないと思いませんか?。