「大舞台を思いっ切り楽しみたい」と語る高松。実家には母校の小山中から贈られた寄せ書きが飾られている=7日午後、小山市

 夢に見た大舞台を間近に控えても、気負いはない。「いつでも仕事はできるよ、という状態。全部が未体験なので、取りあえず思いっ切り楽しんできたいっすね」。小山市出身の日本体育大4年、高松義伸(たかまつよしのぶ)(21)は目を輝かせた。

 コロナ禍による1年延期をチャンスに変えた。「1年延びてなかったら実力が足りず、代表には選ばれなかった」。練習ができる体育館を探しては、技術を磨いた。先輩との実力差は徐々に埋まり始めた。

 平たんな道のりではなかった。中学3年、14歳の春。左脚に骨のがん「骨肉腫」が見つかった。強豪校も認めた実力の球児は、甲子園出場の夢を諦めるしかなかった。作新学院高進学後、2年生の夏に再発し、左脚を切断した。

 足がなくてもできる-。車いすバスケに熱中したのはそのころ。「激しくぶつかり合う迫力」に魅了された。体験会への参加を機に、本県チーム「栃木レイカーズ」に所属。高校3年で23歳以下の日本代表に選ばれるなど急成長をみせてきた。

 世界の壁も味わった。2018年末にA代表の合宿に初招集され、19年1月のカナダ遠征に帯同した。初めて対決した、車いすバスケ界のマイケル・ジョーダンと称されるパトリック・アンダーソン。「すっげぇ速いし、すっげぇでかい」。歯が立たなかった。

 世界と互角に戦うため、自らを奮い立たせた。代表トレーナーと肉体の強化に取り組み、体重は3キロ近く増えた。片方の車輪を上げて高さを出す「ティルティング」を習得し、リバウンドも得意になった。運動量と攻守の切り替えの速さが最大の武器となった。

 東京大会での役割を明確に描く。「ぱっぱ打って、ぱっぱ守って、相手を休ませない。プレスでどんどん体力を削っていく」。攻守の切り替えの速い「超トランジションバスケ」が目標だ。

 1試合40分のうち「出場できるのは3、4分かもしれないが、嵐のように相手を乱したい」と意気込む。「そして将来は、日本代表の主戦力になりたい」。車いすバスケ界の新星。その物語は東京から始まる。