「午後十時五十三分ヨリ大空襲アリ」-。戦時下の学校日誌を巡り、宇都宮市内の全小学校にその有無を尋ねた下野新聞社のアンケート。保存が確認された城山西、清原南、富屋の3校の日誌には1945年7月12日の宇都宮空襲時をはじめ、幾多に及ぶ空襲警報の発令と解除が繰り返される記述もあり、戦争に翻弄(ほんろう)された子どもたちの学校生活が浮かび上がる。

宇都宮空襲当日の富屋村国民学校の日誌には「午後十一時半ヨリ宇都宮市空襲ヲ受ケ相当数ノ損害ヲ受ク」とある。惨状は郊外にも伝わっていた=2日午後、宇都宮市徳次郎町(画像は一部加工しています)
宇都宮空襲当日の富屋村国民学校の日誌には「午後十一時半ヨリ宇都宮市空襲ヲ受ケ相当数ノ損害ヲ受ク」とある。惨状は郊外にも伝わっていた=2日午後、宇都宮市徳次郎町(画像は一部加工しています)

 12日当日の城山西小(当時の城山村西国民学校)の日誌には...