最後のレースを終え、ファンに別れのあいさつをする騎手たち=2005年3月14日、宇都宮競馬場

宇都宮競馬場の跡地に建設が進む新スタジアム=1月20日、宇都宮市西川田2丁目(写真提供 鹿島・増渕・渡辺・那須土木・磯部・浜屋JV)

「宇都宮競馬場は自分の母親のような存在」と話す内田騎手=さいたま市、浦和競馬場野田トレーニングセンター

最後のレースを終え、ファンに別れのあいさつをする騎手たち=2005年3月14日、宇都宮競馬場 宇都宮競馬場の跡地に建設が進む新スタジアム=1月20日、宇都宮市西川田2丁目(写真提供 鹿島・増渕・渡辺・那須土木・磯部・浜屋JV) 「宇都宮競馬場は自分の母親のような存在」と話す内田騎手=さいたま市、浦和競馬場野田トレーニングセンター

 56年の歴史に幕を下ろす県営宇都宮競馬を見届けようと2005年3月14日、ファン約6600人が宇都宮市西川田2丁目にあった同競馬場に詰め掛けた。

 最終レース「とちぎ大賞典」の1着はフジエスミリオーネ。同競馬所属騎手として初の3千勝を達成した内田利雄(うちだとしお)騎手が騎乗するヤマニンバリーは2着に入った。

 レース終了後、騎手17人全員が表彰台に上がり、ファンに別れを告げた。温かい拍手と声援を受けながら、内田騎手の目から涙があふれた。「これで終わりかと思うと、悲しかった。宇都宮競馬は騎手の自分を産み、育ててくれた母親のような存在なんです」

 1978年にデビューした内田騎手は、花形ジョッキーとして活躍した。2004年秋に赤字が続く同競馬の廃止が発表されてからは、存続を求める署名活動に参加したが、調教師、騎手、厩務(きゅうむ)員ら計240人は、それぞれ別の道を歩むことになった。

 他の職種に移った人も多い中、内田騎手は「地方競馬で乗りたい」と各競馬場と交渉。これまでの人間関係が幸いして岩手競馬、園田競馬(兵庫県)などで騎乗できることになった。海外でも活躍し、日本人初のマカオG?騎手となり、韓国・釜山ではリーディングジョッキーとなった。