5万号の歩みの中で多様なニュースと向き合い、読者に記事を届けてきた下野新聞。当時の取材協力者は、その記事をどう受け止め、今後の本紙に何を求めているのか。記者が改めて協力者3人に会いに行き、思いを聞いた。

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7年前と変わらず祈りをささげる畠山さん
7年前と変わらず祈りをささげる畠山さん

 日光山輪王寺に奉職して11年。僧侶としてはまだまだ若輩ですが、変わらず祈りをささげる毎日です。

 7年前の掲載記事をじっくりと読み返しました。東京電力本店の広報担当として福島第1原発事故に対応した当時の、情報が交錯して怒号が飛び交った本店内や記者会見場の光景がよみがえりました。

 記事で自らの経験を客観的に認識できました。東電に残る同僚を理解してもらうことにもつながったと思います。掲載後、ほかの新聞社やテレビ局の取材を受けました。生まれ育った青森県で読んだ地方紙「東奥日報」に取り上げられたのは感慨深かったです。

 責任感が強い同僚たちは事故当時、電力の安定供給などそれぞれができることに力を尽くしました。天台宗の開祖である伝教大師の教え「一隅を照らす」につながる行いでした。

 東電の原発として事故後初めて、新潟県の柏崎刈羽原発6号機が再稼働に向けて動き出しました。地元住民の理解がなくては成り立ちません。あの日の思いを忘れず、うそ偽りのない説明をして良好な関係を築いてほしいです。

東電広報から仏門に入った畠山さんの思いを伝える本紙記事(2019年3月10日付)
東電広報から仏門に入った畠山さんの思いを伝える本紙記事(2019年3月10日付)

 自分自身の人生について取材を受けた経験を踏まえ、人生をクローズアップするのは記者と被取材者の信頼関係がなければできないと強く感じます。地域に根差す下野新聞だからこそ、それができます。

 千差万別の生き方、考え方を知ることは面白く、自らの成長につながると思います。取材相手から次に取り上げる人を紹介してもらい、リレー形式でさまざまな人生を取り上げてはいかがでしょうか。

 事故から15年がたっても避難生活を余儀なくされている人がいて、元社員としての罪悪感は消えることがありません。新たな生活を始めた人もいます。今の思いに焦点を当てた記事を読んでみたいです。

 インターネット社会となり、自分に都合の良い情報しか目に入らないようになっています。新聞には多様な情報が盛り込まれており、自分の世界を狭くしがちなこの時代に必要だと思います。感謝して読み続けたいと思っています。

畠山慈朋さん
畠山慈朋さん